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 向かって右の白いTシャツの男性が、ジェフ・フォスターのSatsang(彼はサットサンという言葉は使わず、ミーティングという)で、自分のスピリチュアルなストーリーに酔いしれながら質問をしている。
そして突然、ジェフが笑い出し止まらなくなる。
 Satsangでは、このような突発的な笑いがよく起こる。 
これは特に最高!

 
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2011.01.11 / Top↑
 いきなりだけれど、ノン・デュアリティ(Nonduality)が私のなかで、はやっています。
でも、言葉で説明すると何か違うものになってしまう。なぜなら、言葉は二元性(dualism)のうえに成り立っているから。そう、ノン・デュアリティを直訳すると、非二元性ということかな。

 私はうまく説明できないので、私の住んでいるコミュニティーにもやってきた、ジェフ・フォスターさんのホームページにある文章を、日本語に訳してみよう。いいよね、ジェフ!

「ノンデュアリティってなに?」

こう想像してみて。
空気いっぱいに膨らんだ風船が、空気の大海原をただよっている。

そして、その風船がひとりごとを言う
「わたしは個だ。わたしはたくさんの個であふれた世界に生きている。
"わたし"と"わたしの"の世界:わたしの考え、わたしの記憶、わたしの信条、
わたしの到達、わたしの成功、わたしの失敗、わたしの過去、わたしの関係。
わたしは、全体のひとかけらであり、ひとかけの命である。
すべての中の小さな部分である」。

風船がいちばん恐れることは、はじけてしまうこと
言いかえれば、自分自身の死である。
なぜなら、それは、究極的に"わたし"と"わたしの"を失うものだから。
いってみれば、すべての中の"わたしの小さなパート"、"わたしの命"の終焉。

風船が見えないのは、その死は解放であるということ。
死においては、すべての中の"わたしの小さなパート"は、単に"すべてに"に爆発しなおす。

"わたしの命"というのは幻想。
"わたしの命"は命そのものに溶けていく。

"わたしの命"のように見えたのは幻想なのだ。
なぜなら、すべてから離れて存在した人は誰もいないから。

すべてだけしか存在しなかったのだ!

風船はもともとまったく何も持っていなかったので、けっして何も失うことはない。
言うならば、いのち自体から分離した"個"は存在しない。-そのように見えるだけ。

マインドは、わたしが言っていることを、けっして理解しないだろう。
でも、どこかマインドを越えた場所で、思考を越えた場所で、わたしたちが命を語るストーリーを越えた場所で、コンセプトを越えた場所で、哲学を、イデオロジーを、宗教を越えた場所で…。
覚えているかもしれない、共鳴するかもしれなし、知っているかもしれない。

それがこのメッセージについて。
まったくマインドを超えて、言葉を超えて覚えていること。

あなたはそのままで完全だよ。不完全さの中でさえ。
人生は、そのままでパーフェクト。まだそれが見えなくても。

それが、あなた自身が不在になることー"すべて"が完全に姿を現すことへの旅路、
あなたの家(home)としてずつと探していた、
そして、見つけるであろうもの。

あなたはこれらの言葉を、自分におもいださせるために、自分自身で書いた。
いちばん深いところで、知っていることを。


JEFF FOSTERのホームページ
http://www.lifewithoutacentre.com/
Jeff foster
2011.01.10 / Top↑
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